FC2ブログ
仕事と日常と模型のつれづれ日記。 勝手なことばかり言ってます。模型についてはHPの補助機能としてメモっとくことが目的。

カレンダー

08 | 2020/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

プロフィール

petchuunen

Author:petchuunen
Blog Modelers

profile.jpg

zero

伝説の昭和30年代生まれ。
故郷は幕張。
当時幕張は遠浅の砂浜だったのをおぼろげに覚えている。
月光仮面はリアルで見られなかった。
大鵬と柏戸テレビでで見た。
蒸気機関車と友達だった。
プラモデル好き。
中でも複葉機が大好き。
張線張るのがマイブーム。
Nゲージ鉄道模型好き。
だけど最近は休止中。
子供3人。3人とも独立画策中。
職業、中学校音楽教師。つまり学校が平和になるか荒廃してしまうかを司る神官をしているのだが、誰も、このワタシがそういう重要なポストにいる、とは気づいていない。
部活の中でもっとも大量かつ煩雑な仕事を要求される吹奏楽部の顧問。
問題山積。
仕事メチャメチャ忙しい。
金は一文もない。
がんばって模型作りたいのう
増えるばかりで減らないストック。最近の我が腹回りの一進一退の状況を彷彿とさせる。やっぱり意地でもストックは減らすべきであろう。

メインサイト
「Petchuunen世に憚る」
(再開に向けてついに始動。)

このブログの2007年1月から10月までのコンテンツは以前やってたミクシーからの転載。それ以前のものはHPにつけといた掲示板の記録。

FC2カウンター

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

日本語の持つ恐ろしいまでの潜在能力

 先週、道徳の授業で「蜂谷弥三郎の半生」というのをやった。彼は終戦後の朝鮮半島で、身に覚えのないスパイ容疑でソ連に連行され、そのまま50年以上も日本に帰れなくなってしまった悲劇的な半生を送った人物である。その話の中で、日本語を忘れないために監視の目を盗んでは教育勅語や百人一首の暗唱、さらにいろいろな文部省唱歌を歌っていた、という。そして、ロシア語にはない、日本語の持つ高度に繊細な表現に涙した、とある。

 日本人が英語が苦手なのは、英語が必要ないから。わざわざ英語で表現しなければならないような、語彙の欠陥がないから、という説もある。その証拠に、たとえばフィリピンでは、小中学校の数学と理科の授業は英語で行われている、なぜならフィリピンの現地語は理数関係のボキャブラリーが決定的に不足していて、現地語での授業が不可能だからだとか。しかし日本語だったらすべてがまかなえると。大学の高度な学問でも、英語など他国の言語に頼らなくても自国の言葉だけで修士論文や博士論文が書けちゃう言語って、そうそうは無いのだそうな。
 イタリア在住の我が娘も、イタリア語がやたらにおおざっぱな言語だ、と日頃から言っている。省略する単語が多く、前後の脈絡がないと何言ってるのかわからなくなるものだそうな。

 最近のテレビの番組で、芸能人が作った素人俳句を添削するコーナーがあり、すごい毒舌家の先生がいろいろ言いながらメチャメチャな俳句をものの見事にそれなりの句に仕立てていくのが面白くて、つい見入ってしまう。この先生の語彙力、日本語を自由自在に操る頭の柔軟さには舌を巻くし、たったの2文字・3文字をちょっと変えるだけでパノラマのように詩の景色が変わっていく、日本語そのものの豊かさに、改めてびっくりさせられる。

 さて先週、我が息子の出演する、日本歌曲の演奏会があって、そこで何人かの歌手(玉石混淆)の歌を聴いたのだが、実に興味深かった。
 いったい、音楽大学を出た声楽家はオペラとかドイツリートとか、そういうのを専門にして、日本の歌は脇に置いておく、というか要するに一段低い扱いをするように思えるのだが、とんでもない勘違いと言うべきであろう。日本の歌はなめちゃあいけない。第一、生半可な発声・テクニックで歌いこなせるようなものではない。たとえば、「宵待草」なんかだと、

ま~~て~ど く~~らせ~~ど こ~ぬ ひ~とを~~

というフレーズを下手が歌うと、2文字目の「て」の音が異様にデカく聞き苦しく鳴り響いてしまい、日本語の体をなさなくなってしまう。その他にもいろいろあるんだけど、要するに、日本歌曲をうまく歌える歌手なんて滅多に、滅多に、滅多に、お目にかかることなんかできない、というのが現実である。(中学校の教材の模範演奏のCDだって、とても生徒に聴かせられないようなお粗末なものばかりでウンザリする。)
 一方、それではまともに歌える歌手の歌だとどうなるのか。これは実に人の涙腺を木っ端微塵にする破壊力を保持しているのだ。
 演奏会でも、たまたま来ていたニューヨーク育ちのおじさん(英語で育ったけど日本人)が我が息子の歌を聴いているうちに涙が止まらなくなった、といって感激していた。幼い頃母親が歌っていたのを聴いていて覚えている歌があったというのだが、それだけであろうか。第一、幼い頃聴いた母親の歌なんて、意味がわかっていたであろうか。「曼珠沙華」とか「平城山」などの歌曲だけでなく、特に今でも教科書に載っている小学唱歌はものすごく研ぎ澄まされた美しさを持つ日本語、日本の原風景が詰まった宝石のような歌ばかりである。これからも時代を超えてずっと次の世代にも歌い継がれていって欲しい、と切に願う。

 まったく、こういう繊細で美しく、芸術としても極めて価値の高い歌を数多く残してくれた先人達の仕事には驚くほかないし、これほどまでに優れた「日本語」という言語環境の中に生まれ育ったことを感謝したいものである。
スポンサーサイト



テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

【 2014/12/21 20:44 】

音楽のこと  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
<< 冬至来たりなば春遠からじ | ホーム | 大事件というのは? >>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | ホーム |